• 頌栄教会

「なぜ集まるのか」(その3)

先週のコラムに書きましたように、もともと教会が「集まる」ことを大切にした のは、「主の晩餐」を行うためでした。ならば重要なのは、そのように集まって「主 の晩餐」を行うことが、いったい何を意味したのか、ということでしょう。  そこで注目したいのは、ヨハネによる福音書における「最後の晩餐」の場面です。 実は、ヨハネによる福音書には「これはわたしの体である。これはわたしの血であ る」という、あの聖餐の制定の場面が出てきません。その代わりに書かれているの は、例えば、イエス様が弟子たちの足を洗ったという話、そして「ぶどうの木のた とえ」のようなイエス様の説教です。結論から言いますと、他の福音書は聖餐の制 定の場面を伝えているのに対し、ヨハネによる福音書は聖餐の意味を説き明かして いるのです。それゆえに、この福音書を読むと、初期のキリスト者が、いったい何 を考えて、聖餐を行っていたかが良く分かるのです。  今週は特に最後の晩餐において繰り返されている主の御言葉に耳を傾けましょ う。主は言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに 愛し合いなさい」。聖餐を行うということがいったい何を意味するのか。それをどの ように弟子たちは理解したのか――。ここにはっきり現れています。すなわち、イ エス様に愛された者として、互いに愛し合う共同体を形作ること、教会を形作るこ と、まさにそれが聖餐を行うということなのです。そのように、互いに愛し合う共 同体を形作るために、そのような教会を造るために、神の家族となるために、キリ スト者は集まったのです。時には命がけで集まったのです。 (次号に続く)


あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るであろう。ヨハネ13:34-35


祈りの課題

1.集まることができない時であっても、一人ひとりが礼拝を重んじ、日々 御言葉と共に歩んでいくことができるように。

2.これからも皆が他者の命を重んじ、感染予防・拡大防止のための注意 を継続していくことができるように。

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので