教会が集まることを大切にしたのは、「主の晩餐」を行うためであり、それはすな わちキリストに愛された者として、互いに愛し合う共同体を形作るためであったこ とを前回のコラムに書きました。 「互いに愛し合う」ということは、根本的には、自分自身の罪、この世界の罪と の戦いです。罪の力は実にリアルです。罪とは「愛する」という方向とはまさに逆 方向へと強烈に引っ張ってゆく力です。それは愛を遠ざけ、関係を破壊する恐るべ き力です。その力が現にこの世界に働いており、私たち自身の内にも働いているの です。ですから、「互いに愛し合いなさい」というのは、まさに「罪との戦い」への 招きに他ならないのです。イエス様は、まず弟子たちを、教会を、私たちを、この 世界のただ中における罪との戦いへと招かれたのです。共に集まって礼拝をする共 同体を造るということは、その罪との戦いの具体的な形なのです。 それゆえにまた、この言葉をイエス様御自身からいただいたということが決定的 に重要な意味を持つことになります。主がまず私たちを愛してくださったからで す。「わたしがあなたがたを愛したように」と書かれているとおりです。主にとっ て、私たちを愛することが、何の痛みも苦しみをも伴わないことであったと考えて はなりません。主が私たちを愛するということは、私たちの罪を背負って、十字架 の上で死ぬことを意味したのです。すなわち、私たちを愛するということにおいて、 既に主が命がけの戦いをしてくださったのです。その主の戦いに私たちもまた加わるように招かれている。それゆえに私たちは集まるのです。 (次回に続く)
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るであろう。ヨハネ13:34-35
祈りの課題
1.聖霊降臨祭を共に祝う世界の諸教会のために。散らされている状態に あっても聖霊によって一つとされて礼拝をささげることができるよう に。
2.国家においても、教会においても、現状を正しく認識し、今後の歩み について相応しい判断がくだされるよう、聖霊による照らしと導きが与 えられるように。
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