• 頌栄教会

「なぜ集まるのか」(その5)

更新日:2020年9月13日

 共に集まって礼拝をし、教会を形作るということは、先週書きましたように、「罪 との戦い」という面を持っています。しかし、戦いだけではありません。共に集ま ってささげる礼拝は、何よりも勝利の祝いに他ならないのです。エフェソの信徒へ の手紙1章には、そのような勝利の祝いの喜びが満ち溢れています。  7節には「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦され ました。これは神の豊かな恵みによるものです」と書かれています。しかし、神の 恵みは罪の赦しに留まりません。「神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、す べての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいま した」と続きます。その計画とは何か。続く9節と10節を注意深く読んでみてく ださい。神が明らかにされた神の計画とは、救いの完成に至る計画です。それは「あ らゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる」というものです。  私たちは神の豊かな恵みを知りました。その恵みによって、やがては、罪によっ てズタズタに引き裂かれたこの世界がキリストのもとに一つにまとめられ、神の救 いが完成するのです。キリストにおいて既に現されたように、神の愛は人間の罪に 打ち勝つのです。私たちはキリストによって、そのような神の秘められた計画を知 らされたのです。だから私たちは集まるのです。この世界に先駆けて、まず私たち が、救いの完成を指し示すしるしとしてキリストのもとに集められていることを知 ったからです。それゆえに私たちは罪との戦いを続けながらも、この世界に先駆けて既に勝利の祝いを始めているのです。 (次回に続く)


こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。エフェソ1:10


祈りの課題

1.礼拝堂に集まってささげる礼拝の再開に向けての準備のために。

2.感染が拡大している南半球の国々のために。特に医療の行き届いてい ない地域の人々のために。


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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので