• 頌栄教会

「なぜ集まるのか」(その6)

更新日:2020年9月13日

 先週の主日は聖霊降臨祭でした。あの五旬祭の日、再び集められた主の弟子たち が共に祈っていた時、彼らの上に聖霊が降りました。そして、そこから教会の宣教 の歴史が始まりました。それゆえ私たちは毎年聖霊降臨祭を祝います。  これまで見てきたとおり、教会はその初めから、主の晩餐を行うために集まりま した。それは主が愛されたように、互いに愛し合う共同体を形成するためでした。 それは根本的には、愛を遠ざけ、関係を破壊する「罪」との戦いを意味しました。 それはキリストの戦いに参与することに他なりませんでした。キリストの戦いなら ば、既に勝利は定まっています。それゆえに、主の晩餐を行うことは勝利の祝いを も意味しました。そして、はっきりしていることは、あの聖霊降臨がなければ、こ れらすべては起こり得なかったということです。教会が集まり行っていることは、 聖霊の御業によって始まり、聖霊の御業によって成り立っているのです。  先週のコラムではエフェソの信徒への手紙1章を引用しましたが、そこでは「聖 霊」について、「わたしたちが御国(神の国)を受け継ぐための保証である」と表現 されています。「保証」というのは、手付け金を表す言葉です。やがて救いが完成し、 神の国を見ることになります。いわば全額をいただく時が来る。その一部を先にい ただくのです。今はまだ、救いは完成していません。自分の罪、この世の罪によっ て引き裂かれた世界に私たちは生きています。しかし、そのような世界に聖霊が降 り、私たちはその御業の中で、共に集まるようになりました。そこには戦いがあり ます。そして祝いがあります。そのすべてにおいて私たちは神の国を既に味わいはじめているのです。(清弘剛生)


この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。エフェソ1:14


祈りの課題

1. 日々聖霊に満たされ、遣わされている場においてキリストを証しして 生きることができるように。

2. 教会に集うことができない子どもたちのために。(次聖日は「花の日・ 子どもの日」です。)

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので