• 頌栄教会

「イースターおめでとうございます」

 イースターは、歴史的にはクリスマスより早くから祝われてきた祝祭です。

教会 はキリストの復活を祝い続けてきました。それは、キリストが過去の人ではなくて、 今も生きておられる救い主であると教会が信じ続けてきたということでもありま す。

ただ「教え」が今日まで生きているのではありません。キリスト御自身が生き ていると教会は信じているのです。

 復活されたキリストが今も生きておられ、私たちを救ってくださるという信仰を 最も鮮やかに示しているのは、本日の第2朗読において語られている「洗礼」です。

「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたち」(ローマ6:3)と いう表現が出てきました。この言葉など、まさに「キリストは生きておられる」と いう信仰なくしてはまったく意味をなしません。洗礼は単なる形式的な儀式ではあ りません。もしそうならば遠の昔に失われていることでしょう。しかし実際には、 教会は洗礼を二千年の長きに渡り、時には殉教者の血が流される中、命がけで行い 続けてきたのです。何のために?

――「キリスト・イエスに結ばれるため」です。  そして、そのようにキリストの内にあり、キリストに結ばれているならば、私た ちお互いもまた、復活されたキリストによって結び合わされているのでしょう。 そのような私たちとして、今日はそれぞれの場にありながらも、時を同じくして礼 、、 拝をささげ、共に主の復活を祝います。その「共に」は目には見えませんが、確かに私たちの礼拝において起こっている霊的な出来事なのです。(清弘剛生)

 それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼をうけたことを。ローマ6:3

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので