• 頌栄教会

「キリストを証しする生活(4)」(信仰生活入門16)

 下記の聖句に示されているように、「伝道」とは交わりへの招きです。言い換えるならば伝道とは「教会」への招きです。ならば、その「教会」がどのような状態にあるかは伝道において極めて重要なことであるに違いありません。教会が本当の意味で「御父と御子イエス・キリストとの交わり」になっているかどうか。人々がそこに「御父と御子イエス・キリストとの交わり」を見ることができるかどうか。そこが問われます。

 さて、「そこが問われます」と申しましたが、私たちは往々にして自分を外に置いて《問う》側にまわってしまいやすいものです。「わたしたちは」と語り始めるのではなく、「この教会は」と外から指差して問題を語り始めてしまいやすい。しかしそのこと自体が、実は教会の質を最も低めることになるのです。間違ってはなりません。まず私たち自身から始まるのです。私たち自身の悔い改めと祈りから始まるのです。まず私たち自身の内に妬みや党派心、人間的なさまざまな悪意、破壊的な思いがないかどうかを主に照らしていただかなくてはなりません。そうでなければ、伝道を願いつつも、私たち自身が伝道の妨げとなってしまうかもしれません。いつでも良きことは小さな一人二人から始まります。生き生きとした信仰の交わりもまた心の砕かれた小さな一人の祈りから始まります。「御父と御子イエス・キリストとの交わり」へとこの世界を招くため、共に成熟を目指して進みましょう。                  (清弘剛生)

わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。 1ヨハネ1:3

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので