• 頌栄教会

「レントの黙想」(5)  

 「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。そう口にした犯罪人の一人に、主はこう答えられました。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。イエス様が御国の王座に着いた後ではなく、また、この犯罪人が死んだ後でもなく、彼がまだ生きているその時に、彼はイエス様の口から答えを聞いたのです。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」――これは彼にとって、まさに完全な罪の赦しの宣言に他なりませんでした。彼はもはや罪人として死んでいく必要はなくなったのです。地上において、まだ十字架の上でもがき苦しんでいるときに、罪の赦しの言葉を前もって聞くことができたのです。彼はその言葉が耳に届くところにいました。いや、「いさせられました」と言うべきでしょう。自ら好んで十字架にかかったわけではありませんから。しかし、そこに「いさせられた」ことは恵みでした。神の恵みは十字架にかけられた犯罪人にも届いていました。そして、彼はその恵みに確かにあずかることができたのです。

 この同じ恵みが、私たちにも届いていることを感謝しましょう。彼がイエス様の側に「いさせられた」のは人生最後の日でした。私たちは、人生最後の日ではなくて、その前に既にイエス様のもとにいるのです。ここに連れて来られているのです。裁きの時にではなく、前もって罪の赦しの言葉を聴くことのできる場所に、私たちは今身を置いているのです。いやそれだけでなく、今生きている間に、信仰生活において神の国の喜びを味わい始めているのです。それは恵みであり恵み以外の何ものでもありません。そして、その恵みを私たちは決して無駄にしてはならないのです。                     (清弘剛生)

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 ルカ23:43

閲覧数:16回

最新記事

すべて表示

「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので