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  • 執筆者の写真頌栄教会

「主の日に集まる生活(1)」(信仰生活入門1) 

 日曜日に行われているのは、讃美歌付き講演会ではありません。聖書研究会でもありません。「礼拝」です。礼拝(ワーシップ)とは「あなたこそ私たちにとって最も価値ある御方です」と表明し、神をたたえることです。神に最高の価値を帰することの最も直接的な表現、それが「礼拝」です。礼拝する姿こそが私たちが神に対して持つべき第一の姿です。なぜならこの世のすべての価値の源は神であり、神こそ最も尊ばれるべき御方であるからです。さらには、この上なく尊い神が最高に価値ある独り子を私たちに与え、最高に価値ある救いを私たちに与えてくださったからです。

 もちろん、礼拝を捧げるために日曜日に礼拝堂に集うことが実際的に困難なこともあり得ます。日曜日に必ずしも休みを取れない職業があることを私たちは知っています。そして、現に日曜日に働いている人がいるからこそ、私たちは日曜日に礼拝堂に集うことができるのです。また、どうしようもない家庭の事情や健康上の理由によって日曜日に礼拝堂まで来ることのできないこともあるでしょう。しかし、そのような様々な制約のもとにあるにせよ、なおそこで自分が礼拝を重んじて生きているか否かは自分で分かるものです。礼拝よりも他の何かを大事にして神を礼拝することを二の次三の次にしているならば、それは言ってみれば、「神様、あなたは私にとって二の次、三の次です」と表明しているのに等しいのです。神を重んじて生きようとするならば、まずできることは能う限り主の日の礼拝を重んじることです。                 (清弘剛生)

主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。 詩編96:2

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「御心が行われますように」(主の祈り5)

「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので

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