• 頌栄教会

「主の日に集まる生活(3)」(信仰生活入門3)  

 目に見えるこの世界も私たちの生活も変化します。しかし、神は永遠に変わりません。神の救い、神の恵みも変わりません。神の御言葉も変わりません。主の日の礼拝を重んじることは、この永遠に変わらざる土台の上に人生を築いていくことです、ということを先週のコラムに書きました。私たちはそのような変わらざる土台の上に呼び集められた者なのであり、私たちが共に永遠に変わらざる同じ土台の上に人生を築くことにおいて、教会は形作られるのです。すなわち主の日の礼拝を共にすることによって教会は形作られるのです。

 私たちが一つの共同体であり得るのは、様々な活動を共にすることによってではありません。同じイデオロギーを共有することによってでもありません。相互理解によるのでもありません。もちろん時間をかけて、お互いを知り合うことは大事です。しかし、教会においては、それが一番大事なことではありません。教会が様々な事情によっていろいろな集会をそぎ落としていっても、最後まで絶対に無くさないのは公の礼拝です。これをなくして教会は成り立たないからです。それゆえに、教会において他の集会や他の活動が礼拝よりも重んじられるようになったら、その教会は本来の姿から離れて行っていると思わなくてはなりません。自分の心の中においても、教会における他の活動や集会が礼拝することよりも上になりかけていたら、信仰生活が健康を失いつつあることを思わなくてはならないのです。                        (清弘剛生)

キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。 エフェソ2:21-22

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので