• 頌栄教会

「主の日に集まる生活(4)」(信仰生活入門4)

 主の日の礼拝に呼び集められた私たちは、自分自身を主にお献げし、この世界に遣わされていきます。主の日の礼拝は主による派遣の拠点です。 

 このシリーズの第一回目に、「礼拝(ワーシップ)とは『あなたこそ私たちにとって最も価値ある御方です』と表明し、神をたたえることです」と書きました。しかし、礼拝はただ表明に留まりません。そこで表明したことを、その人生全体において実現してこそ、本来の礼拝となるのです。パウロはその事実を次のように表現しました。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」。当然のことながら、自分の体を献げることは、この世における生活にかかわっています。それゆえ、神は私たちを再びこの世界へと送り出されるのです。私たちの週日は、私たちの献身を具体化する現場です。「わたしは自分を献げたのだ」という意識をもって、ある者は学校生活をし、ある者は社会の中で人と関わり、ある者は家庭生活を営みます。私たちが身を置くところ全てが私たちの派遣先です。

 そして、再び主の日を迎えます。派遣されながらも、実際には言葉をもって、行いをもって、怠りをもって主に背いてしまったことも多かった私たちを、それでもなお変わることなく、赦しと憐れみをもって主は御許に呼び集めてくださいます。それが主の日の礼拝です。そのように、教会こそが私たちのホームなのです。教会は行くところではなく、帰ってくるところです。    (清弘剛生)

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 ローマ12:1

閲覧数:5回

最新記事

すべて表示

「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので