• 頌栄教会

「受難節(レント)に入ります」

 今週の水曜日から受難節(レント)に入ります。キリストの御受難を覚える期間であり、悔い改めの期間です。その最初の日である水曜日は「灰の水曜日」と呼ばれます。「灰」は悔い改めの象徴です。それゆえに額に灰の十字をつける「灰の式」を行う教会もあります。この日から飾り布も悔い改めを象徴する紫色に変わります。受難節は復活祭(イースター)までの46日間です。46日という半端な数なのは、その間に日曜日が6回入るからです。6日を除くと40日です。ゆえにカトリック教会では「四旬節」(「旬」は10日間の意味)と呼ばれます。

 そのように40+6の日数を数えるわけですが、この「6」の部分があることはこの期間を過ごすに当たって大きな意味を持っているように思います。受難節はキリストの御受難を覚える期間なのですが、そこに繰り返し日曜日が訪れ、復活の光が差し込むのです。そこで私たちは復活されたキリストと共にこの受難節の時を過ごしているのだということを意識することになります。ならばこの期間は決して「過去の人イエス」の苦しみを思い巡らす時にはならないはずでしょう。今も生きておられる復活の主に向かい、その御前において十字架の意味を問うことになります。その御前で私たち自身の罪も明らかにされます。そこにこそ真の悔い改めもあります。そこから私たちは再び復活の主に従い始めるのです。十字架におけるキリストのみ苦しみを知ったあの弟子たちが、ガリラヤにおいて復活の主にまみえ、再びそこから従い始めたように。

 受難節の期間には、4回の主日礼拝後、御言葉の黙想と分かち合いの集会を予定しています。共に主に向かい、主の御声に耳を傾けましょう。 (清弘剛生)

恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。 黙示録1:17-18

21回の閲覧

最新記事

すべて表示

「終わりに備える生活(2)」(信仰生活入門30)

葬儀は誰のために行われるのでしょうか。 まず考えられるのは、葬儀は亡くなった方のため、またその御遺族のために行 うということでしょう。葬り方によって亡くなった人の運命が左右されるわけで はありません。死の向こうは神の領域ですから。亡くなった方を手厚く葬ること は純粋にその方に対する愛の表現です。また、葬儀は遺族のための慰めでもあり ます。慰めは人々の愛によっても与えられますが、最終的には福音の言葉

「終わりに備える生活(1)」(信仰生活入門29)

人生の終わりである「死」に向けてきちんと備えをすることができるためには、 自らの「死」と平安をもって向き合うことのできる確かな根拠が必要です。その ためには単なる「死は終わりではない」という言葉や、一般的な「霊魂不滅の思 想」は本質的に助けになりません。「死」と向き合うことは、自らの人生と向き 合うことでもあるからです。人生における罪責を負ったまま、死んでもなお永遠 に罪人として《不滅》であるとす

「悪魔に打ち勝つ生活(4)」(信仰生活入門28)

「神の武具」について、前回の続きです。 4「信仰の盾」 この「盾」とは体がすっぽりと入る大盾を意味します。「悪 い者(すなわち悪魔)」は様々な形で「火の矢」を放ってくることでしょう。時 にそれは「誘惑」であり、時には「艱難」であるかも知れません。私たちは悪魔 に対して「火の矢を放つな」とは言えません。火の矢が飛んでくる現実は避けら れません。しかし、その火の矢で火だるまになる必要もありません。火の