• 頌栄教会

「受難週に入りました」

 今日から受難週に入ります。エルサレムに入城されたキリストが十字架にか けられ葬られるに至る一週間です。今年はなんという特別な受難週を与えられた ことでしょうか。その最初の日、イエス様がエルサレムに入城した日に当たる「棕 櫚の聖日」に私たちは集まって礼拝を捧げることができません。そして、それか ら一週間後、キリストのご復活を祝う日にも、私たちは集まって祝うことができ ません。そのような特別な受難週がここから始まります。

 いや、本当は集まって礼拝を捧げることができることの方が、特別なことだっ たのかもしれません。ボンヘッファーはこう言っています。「教会がこの世にお いて神の御言葉と聖礼典とのために、見える形で集まることをゆるされるのは神 の恵みである。すべてのキリスト者が、この恵みにあずかるわけではない。監禁 されている者、病人、散らされて孤独でいる者、異教の国々で福音を宣教する者 は、孤立している。目に見える形の交わりが、恵みであることを、この人たちは 知っている」。私たちは今、恵みが恵みであることを知らされているのです。

 ならば、主は、このような受難週において何をお語りくださるのでしょうか。体は離れていても、共に御言葉に聞きましょう。同じ御言葉に耳を傾けましょう。 この特別な受難週のために「受難週・日毎の糧」という小冊子を用意しました。 どうぞご活用ください。そして、たどるべき道をたどって、体は離れていても共に祝うことのできる復活祭にたどり着きましょう。(清弘剛生)

見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。詩篇133:1


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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので