• 頌栄教会

「御言葉に聴く生活(2)」(信仰生活入門6)

 礼拝説教は、その日に朗読された聖書の解き明かしです。それゆえに「牧師は今日何を話すのだろうか」ではなく、「今日の聖書箇所は何を語っているのか」と考えながら聴くことが大事です。それはすなわち、「今日の聖書箇所を通して、神は私に、また私たちに、何を語ろうとしておられるのか」と考えながら聴くということです。そうあってこそ礼拝説教が「御言葉に聴く生活」を形作ることにもなるからです。

 礼拝説教については、しばしば「長いか、短いか」「分かりやすいか、分かりにくいか」「感動したか、感動しないか」といったことが話題となります。しかし、長いか短いかはさておき、説教については「分かりやすい」とか「感動的である」という評価はけっこう曲者なのです。身近な日常の話や体験談が豊富に語られてとても分かりやすい話なのだけれど、当日読まれた聖書箇所にはほとんど触れられていない“感動的な礼拝説教”なるものもあり得るからです。しかし、それでは礼拝説教がその務めを果たしているとは言えないのです。

 朗読された聖書の御言葉の解き明かしとして礼拝説教を聴く。――その意識をしっかりと持つならば礼拝の守り方が変わります。また礼拝に集う意味も変わってくることでしょう。毎週の礼拝はおのずとおろそかにできなくなります。神の語りかけを聴き、神を知り、神の御心を知る者となることほど、人生において重要なことはないからです。                  (清弘剛生)

イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。 ルカ4:20‐21

5回の閲覧

最新記事

すべて表示

「悪魔に打ち勝つ生活(2)」(信仰生活入門26)

3世紀初頭に書かれた「ヒッポリトスの使徒伝承」という文書によると、古代 の洗礼式においては、志願者が司祭の右に立ってこう宣言することになっていた ようです。「サタン、わたしはおまえと、おまえの一切の虚栄と、おまえの一切 のわざを捨てる」。つまり洗礼は新しい命に生きることを意味するのですが、それはまたサタンに反旗をひるがえして戦う者として生きることをも意味したの です。それゆえに、洗礼式は「入隊式」

「悪魔に打ち勝つ生活(1)」(信仰生活入門25)

今回のテーマは「試練」と「誘惑」に関するものです。「試練」と「誘惑」の 問題について語るときに、どうしても避けて通ることができないのは「悪魔」に ついて語ることです。 さて、この「悪魔」についての二つの誤った態度があります。一つは過度に不 健全な関心を向けることです。今日、「悪魔」という検索ワードで検索するなら ば、約九千万件のヒットがあります。それだけ様々な関心から「悪魔」について 語られている

「神に献げる生活(4)」(信仰生活入門24)

私たちは自分で自分自身を造ったのでも、自分で自分自身を生かしているので もありません。また、自分で自分を救ったのでも、自分で永遠の命を獲得したの でもありません。すべては恵みによって与えられているのです。私たちは自分が 造ったのではない世界に取り囲まれ、自分が造ったのではないものによって支え られ、それらを通して生かされてきたのです。また自分の力によってではなく、 ただキリストが全てを捧げてくださ