• 頌栄教会

「悪魔に打ち勝つ生活(4)」(信仰生活入門28)

「神の武具」について、前回の続きです。


4「信仰の盾」 この「盾」とは体がすっぽりと入る大盾を意味します。「悪 い者(すなわち悪魔)」は様々な形で「火の矢」を放ってくることでしょう。時 にそれは「誘惑」であり、時には「艱難」であるかも知れません。私たちは悪魔 に対して「火の矢を放つな」とは言えません。火の矢が飛んでくる現実は避けら れません。しかし、その火の矢で火だるまになる必要もありません。火の矢は消 すことができるのです。何をもってですか。信仰の大盾をもってです。何があっ ても神に信頼し続けるならば火の矢の火は遅かれ早かれ消えていくものです。


5「救いの兜」 テサロニケの信徒への手紙一では「救いの希望を兜としてか ぶり」と書かれています(1テサロニケ5:8)。そのように、この場合「救い」 とは、終末における救いの完成を意味しています。今、私たちはまだ戦いの中に あり、傷つきながら苦闘しているのですが、この戦いは永遠に続くのではありま せん。勝利の日が来るのです。その希望をしっかりと頭にかぶっていなくてはな りません。


6「霊の剣」 これは「神の言葉」であると説明されています。神の言葉が語 られ、神の言葉が聞かれるところに聖霊が働かれます。神の言葉こそが唯一の攻 撃用の武具なのです。御言葉から離れないことこそ、悪魔に対する勝利の秘訣です。 (清弘剛生)


なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。エフェソ6:16-17

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので