信仰生活は神と人とに仕える生活です。ゆえに教会では「奉仕」あるいは「奉仕者」という言葉を良く耳にします。私たちが神に仕え、教会に仕え、社会に仕え、隣人に仕える仕方は実に多様です。しかし、その全ては共通の土台の上になくてはなりません。それは「神への献身」です。
日本学生支援機構による「学生のボランティア活動に関する調査」によりますと、ボランティア活動の参加動機は大きく四つの類型に分かれるそうです。①社会への貢献タイプ:困っている人の手助けがしたいから、地域社会をよりよくしたいから 等。②自分の発見タイプ:新しい人と出会いたいから、自分の経験や技術などを生かしたいから、等。③キャリアづくりタイプ:単位取得や資格取得のために必要だから、進学・就職・昇進に有利だから、等。④癒しセラピータイプ:不安な気持ちや傷ついた心を癒したいから、等。
上記の諸々の動機は私たちが「奉仕」と呼んでいるところにもある部分当てはまっているものなのでしょう。しかし、その根底にたとえどれほど不完全であっても「神への献身」という意識がなければ、少なくともキリスト者の奉仕とは言えません。献身ならぬ他の動機が支配的であるならば、その奉仕は欲求が満たされるか否かに左右されることになります。また、その動機となった欲求が満たされなくなる時にその人は奉仕者であり続けることができなくなってしまうのです。 (清弘剛生)
また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。 ローマ6:13
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