• 頌栄教会

「神と人とに仕える生活(4)」(信仰生活入門20)

最終更新: 2020年9月13日

※しばらく中断していました「信仰生活入門」の続きを掲載いたします。

主が奉仕者に求めておられるのは、有能であることよりも忠実であることであ り、かつ謙遜であることです。

パウロは、テモテについて「主において忠実な者」(1コリ4:17)と語り、 ティキコを「忠実に仕える者」(エフェソ6:21)と評価しています。ペトロ もまたシルワノを「忠実な兄弟」(1ペトロ5:12)と評価しています。この ように「忠実」という言葉は奉仕者に対する評価としてしばしば用いられる言葉 です。もちろんイエス様ご自身も繰り返し用いています。同じ言葉は神について 用いられると「真実な」と訳されます(1コリ10:13など)。信頼に値する という意味です。 神が私たちを信頼して、奉仕を託してくださるのです。それゆえに託された事 柄について、神の信頼に応えるということが大事です。「信頼に値する者」とな ることが、主によって求められ、代々の教会において最も求められてきたことな のです。それは有能であることよりも、また、大きな働きを成し遂げることより も重要なことなのです。 以前にも書きましたが、奉仕者の間には容易に《他者との比較》が入ってきま す。奉仕者の働きが「誰がいちばん偉いか」(マルコ9:34)という意識に結 びつくことは、初代の教会から既に問題になっていたようです。高ぶりは奉仕者にとって最も大きな落とし穴です。(清弘剛生)


自分に命じられたことをみな果たしたら、「わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです。」と言いなさい。ルカ17:10


今週の祈り

1. 第2期をふさわしく過ごすことができるように。備えて礼拝に臨む生 活サイクルを身につけることができるように。

2. 感染が急速に拡大している国と地域のために。

2回の閲覧

最新記事

すべて表示

「終わりに備える生活(2)」(信仰生活入門30)

葬儀は誰のために行われるのでしょうか。 まず考えられるのは、葬儀は亡くなった方のため、またその御遺族のために行 うということでしょう。葬り方によって亡くなった人の運命が左右されるわけで はありません。死の向こうは神の領域ですから。亡くなった方を手厚く葬ること は純粋にその方に対する愛の表現です。また、葬儀は遺族のための慰めでもあり ます。慰めは人々の愛によっても与えられますが、最終的には福音の言葉

「終わりに備える生活(1)」(信仰生活入門29)

人生の終わりである「死」に向けてきちんと備えをすることができるためには、 自らの「死」と平安をもって向き合うことのできる確かな根拠が必要です。その ためには単なる「死は終わりではない」という言葉や、一般的な「霊魂不滅の思 想」は本質的に助けになりません。「死」と向き合うことは、自らの人生と向き 合うことでもあるからです。人生における罪責を負ったまま、死んでもなお永遠 に罪人として《不滅》であるとす

「悪魔に打ち勝つ生活(4)」(信仰生活入門28)

「神の武具」について、前回の続きです。 4「信仰の盾」 この「盾」とは体がすっぽりと入る大盾を意味します。「悪 い者(すなわち悪魔)」は様々な形で「火の矢」を放ってくることでしょう。時 にそれは「誘惑」であり、時には「艱難」であるかも知れません。私たちは悪魔 に対して「火の矢を放つな」とは言えません。火の矢が飛んでくる現実は避けら れません。しかし、その火の矢で火だるまになる必要もありません。火の