今回は「祈り」の話です。イエス・キリストは、私たちに「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけから始まる祈りの言葉を与えてくださいました(マタイ6:9)。私たちはそのように神に呼びかけ、語りかけます。しかし、祈りの生活を、あえて「神と語り合う生活」としたのは、祈りとは神との交わりであるからです。交わりは一方通行では成り立ちません。神に語ることは神に聴くことと切り離すことはできません。既に書いてきましたように、御言葉に耳を傾ける場面は、大きく二つに分かれます。その一つは主の日の礼拝や教会の公の集会です。もう一つは各自が自宅において聖書を開く時間です。私たちが祈りの生活を身に着けようと思うならば、まず御言葉を聴くことを大切にしなくてはなりません。主日礼拝を重んじ、日々聖書を開くことです。
この世の人間関係を考えてみてください。私たちがまだ良く知らない人に対しては語りかける言葉も限られていますし、安心して言葉を加えることもできません。相手の話を聴くにつれ、こちらもまた語る言葉が増えてくるものでしょう。神との関係も同じです。私たちが信じる神様がどのような御方であり、また、私たちに何を望んでおられるかを知るに従って、その御方に対してふさわしく語ることができるようにもなり、また安心して確信をもって語ることもできるようにもなるのです。また逆に、「祈れない」と感じる時には、自分がまず御言葉に耳を傾けているかどうかを省みる必要があるのです。 (清弘剛生)
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。 1ヨハネ1:3
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