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「神と語り合う生活(3)」(信仰生活入門11)

執筆者の写真: 頌栄教会頌栄教会

 イエス様は私たちに「天にまします《わたしの父よ》」と祈るようには教えられませんでした。そうではなくて、「天にまします《われらの父よ》」と祈るように教えてくださったのです。たとえ家においてひとりで祈る時であっても、私たちは神を「われらの父よ」と呼ぶ神の家族に属する者として祈るのです。祈りの生活を身に着けるということは「わたしの父よ」と祈る生活を身に着けるだけでなく、それ以上に「われらの父よ」と祈る生活を身に着けることでもあるのです。そのような祈りは実際に他者と共に祈ることによってはじめて育まれていくものです。

 そこで覚えていただきたいのは、日曜日の礼拝の他に毎週水曜日に行われている「祈り会」です。午前11時と午後7時15分の2回行われております。お仕事の関係や健康上の理由など、さまざまな制約によって実際にその時間に集まることができない人は別として、参加が可能であるのに参加していないとするならば、信仰の生涯における大きな損失であると言えるでしょう。祈り会を通して主が与えようとしている恵みは決して小さくないからです。また、一生の間に私たちが元気に教会に集まれる限られた期間を考えると、水曜日の回数は決して多くはないからです。

 その他にも教会では、各年代別の集会や聖書の黙想と分かち合いの集会も行われています。それもまた共に祈る大切な機会です。毎月発行されている予定表で日時をご確認の上、ぜひご参加ください。           (清弘剛生)

だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように。』 マタイ6:9

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