• 頌栄教会

「神に献げる生活(4)」(信仰生活入門24)

 私たちは自分で自分自身を造ったのでも、自分で自分自身を生かしているので もありません。また、自分で自分を救ったのでも、自分で永遠の命を獲得したの でもありません。すべては恵みによって与えられているのです。私たちは自分が 造ったのではない世界に取り囲まれ、自分が造ったのではないものによって支え られ、それらを通して生かされてきたのです。また自分の力によってではなく、 ただキリストが全てを捧げてくださって、私たちの罪を贖い、私たちに永遠の命 を与えてくださったのです。現在においても未来においても私たちは神の恵みに よって支えられているのです。  献げるという行為は神の恵みに対する感謝の応答です。それはまた、恵みに対 する信頼に基づく応答です。神の恵みに信頼するからこそ、私たちは自分自身を 献げることができるし、私たちの生活を神の御手にゆだねることもできるので す。それがなければ、僅かばかり献げたとしても、手元に残るものが少なくなる ことを見て恐れが生じることになるのでしょう。逆に言えば、私たちは神に献げ ることを通して神に信頼することを学び、不必要な恐れから解放されていくので す。献げる時にこそ身をもって神の豊かさを経験することになるからです。自分 を神に献げた者として生きるなら、神がその人を責任もって養ってくださいま す。それゆえに世々の聖徒たちは乏しき時にこそ、困窮においてこそ、神に献げることを大切にしてきたのです。(清弘剛生)


神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。2コリント9:8


祈りの課題

1. 病気治療中・療養中の教会員のために。ご高齢の方々のために。一人 ひとりの信仰が支えられるように。

2. 新型コロナウイルス感染症の重症化の増加と共に負担が大きくなって いる医療現場のために。従事する人々の心と体が守られるように。

5回の閲覧

最新記事

すべて表示

「終わりに備える生活(2)」(信仰生活入門30)

葬儀は誰のために行われるのでしょうか。 まず考えられるのは、葬儀は亡くなった方のため、またその御遺族のために行 うということでしょう。葬り方によって亡くなった人の運命が左右されるわけで はありません。死の向こうは神の領域ですから。亡くなった方を手厚く葬ること は純粋にその方に対する愛の表現です。また、葬儀は遺族のための慰めでもあり ます。慰めは人々の愛によっても与えられますが、最終的には福音の言葉

「終わりに備える生活(1)」(信仰生活入門29)

人生の終わりである「死」に向けてきちんと備えをすることができるためには、 自らの「死」と平安をもって向き合うことのできる確かな根拠が必要です。その ためには単なる「死は終わりではない」という言葉や、一般的な「霊魂不滅の思 想」は本質的に助けになりません。「死」と向き合うことは、自らの人生と向き 合うことでもあるからです。人生における罪責を負ったまま、死んでもなお永遠 に罪人として《不滅》であるとす

「悪魔に打ち勝つ生活(4)」(信仰生活入門28)

「神の武具」について、前回の続きです。 4「信仰の盾」 この「盾」とは体がすっぽりと入る大盾を意味します。「悪 い者(すなわち悪魔)」は様々な形で「火の矢」を放ってくることでしょう。時 にそれは「誘惑」であり、時には「艱難」であるかも知れません。私たちは悪魔 に対して「火の矢を放つな」とは言えません。火の矢が飛んでくる現実は避けら れません。しかし、その火の矢で火だるまになる必要もありません。火の