• 頌栄教会

「終わりに備える生活(2)」(信仰生活入門30)

葬儀は誰のために行われるのでしょうか。 まず考えられるのは、葬儀は亡くなった方のため、またその御遺族のために行 うということでしょう。葬り方によって亡くなった人の運命が左右されるわけで はありません。死の向こうは神の領域ですから。亡くなった方を手厚く葬ること は純粋にその方に対する愛の表現です。また、葬儀は遺族のための慰めでもあり ます。慰めは人々の愛によっても与えられますが、最終的には福音の言葉によっ て神から与えられるものです。その意味において葬儀は神が御遺族を慰めてくだ さる場であるとも言えます。 また、葬儀は会葬者のために行われると言うこともできます。葬儀とは会葬者 にとりましても、自分が同じように終わりを迎える人間であることを認識する厳 粛な場であるからです。それゆえに葬儀は福音の言葉と復活の希望を共有する場 ともなるのです。 しかし、最も重要なことは、葬儀が神に対して捧げられる礼拝であるというこ とです。それは人間の死において、死からの救い主であるキリストが崇められる、 一回限りの礼拝です。そのような礼拝は一人の人間について一回限りなので、最 初の機会を逃したら、二度と機会はありません。それゆえに私たちは、自らの死 においてこの礼拝が適切に捧げられるよう、最大限の努力をもって備えるべきです。キリスト者にとって葬儀の準備が重要である所以です。 (清弘剛生)


そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。フィリピ1:20

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので