• 頌栄教会

「罪を赦してください」(主の祈り7)

更新日:3月20日

「主の祈り」において罪の赦しを求める祈りは、マタイによる福音書において

は「わたしたちの負い目を赦してください」となっています。つまり、罪が神に

対する負債として表現されているのです。「罪を赦してください」と祈るという

ことは、負債を帳消しにしてください、ということです。負債の帳消しを願うの

は、返済できないからです。破産者であるからです。破産していないならば、返

済をしなくてはなりません。しかし、一生かけて償っても、何をしても返済しき

れないほどの罪の負債を抱えていることを自覚した人は、破産者として負債の免

除をひたすら乞い願うしかありません。「負い目を赦してください」とはそうい

うことです。イエス様がそのように祈りなさいと言われたということは、主が私

たちを、赦してもらうしかない破産者として見ておられるということです。

さらに言えば、ここで祈っている言葉は単に「わたしの負い目を赦してくださ

い」ではなく、「わたしたちの負い目を赦してください」です。破産した人が、

右にも左にもいるのです。そのような「わたしたち」が共に神の前に負債の免除

を願い求めます。そして、憐れみ深い神は負債の免除を宣言してくださるのです。

さて、そのような憐れみを受けている破産者の群れの中において、互いの間の小

さな貸し借りが意味を持つでしょうか。本来、それは意味を持たないはずなので

す。そのことを表現しているのが、続く「わたしたちも自分に負い目のある人を

赦しましたように」という言葉です。マタイ18:23以下のたとえ話がその言

葉についての最良の解説です。 (清弘剛生)



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