• 頌栄教会

「聖霊の働き」(3)  

 前回は「新しい誕生」をもたらす聖霊のお働きについて書きました。それは「誕生」と表現されているように、ある時点において起こることであり、あえて言うならば「瞬間的」な出来事です。ですからパウロもある時点を指して「この救いは…実現したのです(直訳では「救われたのです」)」(テトス3:5)と表現しているのです。(文法的にも過去のある時点を指す表現が用いられています。)そのように、確かに「救われた」のです。罪を赦され、義とされ、神の子とされ、神との交わりに入れられたのですから。

 しかし、聖霊の働きは私たちを新たに生まれさせて終わるのではありません。罪が赦されることも、義とされることも、神の子とされることも、それ自体がゴールではありません。聖霊によって新たに生まれた私たちの内に、聖霊が住んでくださることについて、聖書は語っているのです。パウロは言います。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(1コリント6:19)。つまり救いは瞬間的な出来事であり、その意味で「救われた」と言い得るのですが、もう一方において救いは継続であり、その意味で「救われつつある」と言えるのです。神の子とされた私たちは文字として書かれた律法を守ることによって、様々な教えや戒めを守ることによって変わっていくのではありません。私たちは聖霊の働きにより主と同じ姿に変えられていくのです。 (清弘剛生)

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。 2コリント3:18

2回の閲覧

最新記事

すべて表示

「終わりに備える生活(2)」(信仰生活入門30)

葬儀は誰のために行われるのでしょうか。 まず考えられるのは、葬儀は亡くなった方のため、またその御遺族のために行 うということでしょう。葬り方によって亡くなった人の運命が左右されるわけで はありません。死の向こうは神の領域ですから。亡くなった方を手厚く葬ること は純粋にその方に対する愛の表現です。また、葬儀は遺族のための慰めでもあり ます。慰めは人々の愛によっても与えられますが、最終的には福音の言葉

「終わりに備える生活(1)」(信仰生活入門29)

人生の終わりである「死」に向けてきちんと備えをすることができるためには、 自らの「死」と平安をもって向き合うことのできる確かな根拠が必要です。その ためには単なる「死は終わりではない」という言葉や、一般的な「霊魂不滅の思 想」は本質的に助けになりません。「死」と向き合うことは、自らの人生と向き 合うことでもあるからです。人生における罪責を負ったまま、死んでもなお永遠 に罪人として《不滅》であるとす

「悪魔に打ち勝つ生活(4)」(信仰生活入門28)

「神の武具」について、前回の続きです。 4「信仰の盾」 この「盾」とは体がすっぽりと入る大盾を意味します。「悪 い者(すなわち悪魔)」は様々な形で「火の矢」を放ってくることでしょう。時 にそれは「誘惑」であり、時には「艱難」であるかも知れません。私たちは悪魔 に対して「火の矢を放つな」とは言えません。火の矢が飛んでくる現実は避けら れません。しかし、その火の矢で火だるまになる必要もありません。火の