• 頌栄教会

「聖霊の働き」(8)

聖霊は福音宣教を妨げる隔ての壁を打ち壊します。

 イエス様は、「あなたがたの上に聖霊が降ると…エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言われました。使徒言行録はその言葉が実現したことを伝えています。それは困難な道筋でした。困難であったのは、単に福音に敵対する人々がいたからではありません。福音が地の果てにまで届けられることを妨げていたのは、何よりも彼ら自身が造り上げていた隔ての壁だったのです。サマリアには、ユダヤ人と決して融和することのなかったサマリア人がいました。そして地の果てには異邦人がいるのです。使徒たちは当初、ユダヤ人以外にキリストを伝える意志など、まったくありませんでした。サマリア人がいる教会、異邦人がいる教会など、考えも及ばなかったのです。この隔ての壁、特にユダヤ人と異邦人を隔てる壁を破壊したのは聖霊の力に他なりませんでした。

 身近な隣人の実に小さな違いをもなかなか受け入れることができない私たち、往々にして新しい人が加えられることよりも居心地の良い教会が保たれることを求めてしまう私たちに、主は「地の果てに至るまで」と言われます。ならば私たちが築いてしまっている隔ての壁を打ち壊してくれる聖霊の力強いお働きが、私たちに対しても必要なのでしょう。「地の果てに至るまで」ならば、これまで出会ったことのないような人々との出会いを想定しなくてはならないのですから。                            (清弘剛生)

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。 使徒言行録1:8

12回の閲覧

最新記事

すべて表示

「終わりに備える生活(2)」(信仰生活入門30)

葬儀は誰のために行われるのでしょうか。 まず考えられるのは、葬儀は亡くなった方のため、またその御遺族のために行 うということでしょう。葬り方によって亡くなった人の運命が左右されるわけで はありません。死の向こうは神の領域ですから。亡くなった方を手厚く葬ること は純粋にその方に対する愛の表現です。また、葬儀は遺族のための慰めでもあり ます。慰めは人々の愛によっても与えられますが、最終的には福音の言葉

「終わりに備える生活(1)」(信仰生活入門29)

人生の終わりである「死」に向けてきちんと備えをすることができるためには、 自らの「死」と平安をもって向き合うことのできる確かな根拠が必要です。その ためには単なる「死は終わりではない」という言葉や、一般的な「霊魂不滅の思 想」は本質的に助けになりません。「死」と向き合うことは、自らの人生と向き 合うことでもあるからです。人生における罪責を負ったまま、死んでもなお永遠 に罪人として《不滅》であるとす

「悪魔に打ち勝つ生活(4)」(信仰生活入門28)

「神の武具」について、前回の続きです。 4「信仰の盾」 この「盾」とは体がすっぽりと入る大盾を意味します。「悪 い者(すなわち悪魔)」は様々な形で「火の矢」を放ってくることでしょう。時 にそれは「誘惑」であり、時には「艱難」であるかも知れません。私たちは悪魔 に対して「火の矢を放つな」とは言えません。火の矢が飛んでくる現実は避けら れません。しかし、その火の矢で火だるまになる必要もありません。火の