「ポンティオ・ピラトのもとで」(使徒信条9)
使徒信条には「ポンティオ・ピラト」という歴史上の人物の名前が出てきます。その人のもとでイエス・キリストが苦しみを受けたことを言い表しているのです。ポンティウス家のピラトは、皇帝ティベリウスによってユダヤの第五代目総督に任命された人物でした。その在位期間は紀元26~36年です。イエス様はこの期間内のある特定の日において、ピラトのもとで審判を受け、十字架にかけられたのです。信仰告白におけるこのピラトの名は、キリストの十字架刑という出来事が確かにこの世における歴史的な日付を持っていることを示しているのです。
私たちの人生は日付を持っています。生まれた日があり死ぬ日があります。悲しみにも苦しみにも日付があります。それらの日付の中には、一生忘れ得ない日もあるでしょう。そして、私たちの罪にも日付があります。私たちがだれかを苦しめ、だれかを傷つけるなら、その日付は一生その人の心に残るかもしれません。そして、私たちが神に背いて罪を犯すなら、その日付は神の記録に残ります。そのように、私たちの罪が日付をもった現実であるならば、神による罪の赦しもまた現実でなくてはなりません。それゆえに、キリストによる罪の贖いもまた現実に成し遂げられなくてはなりませんでした。日を刻みつつ生きている私たちに徹底的に関わり、私たちを罪から現実に救う御方として、イエス様は具体的に日を刻みつつ生き、そして現実に捧げられた罪の贖いの犠牲として、ポンティオ・ピラトの在位期間のある特定の日に死なれたのです。 (清弘剛生)
ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 マルコ15:15
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