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「体のよみがえりを信ず」(使徒信条23)

 先週のコラムにおいて「罪の赦しを信ず」ということについて書きました。キリストは十字架にかかり、私たちの罪を償う供え物となってくださいました。私たちの罪は赦され、罪の負い目は取り除かれました。その事実が既に私たちの救いです。しかし、もちろんそれで私たちは罪と無縁になったわけではなく、死と無縁になったわけでもありません。私たちは罪と格闘しながらやがて死を迎えることでしょう。しかし、それで終わりではありません。私たちには、既に味わい始めている救いの完成が約束されているのです。「体のよみがえりを信ず」という言葉は、そのような希望を言い表しているのです。

 既にキリストは復活されました。神の国の姿で、栄光の体をもって、復活されました。その姿は私たちの希望です。私たちもまた、主と同じ栄光の体を与えられるのです。これを聖書は、「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」と表現しています。それを芋虫が蝶になる変化に喩えることもできるでしょう。私たちの目に見えるのは死の手前までです。芋虫がサナギになるまでです。私たちはこの世にあってこの「卑しい体」を持つゆえに悩み苦しみ、自分の醜さに幾度となく涙するのでしょう。しかし、芋虫のような姿が私たちの最終的な姿ではありません。罪と死から完全に解放された体をもって生きる時がおとずれるのです。だから、私たちは希望を失いません。神に造られた者であることを喜び、体を与えられていることを喜び、完成へと向かう人生を与えられていることを喜び、既に神の国の民とされていることを喜びつつ、神をたたえて生きるのです。                    (清弘剛生)

キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。フィリピ3:21

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