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「十字架につけられ」(使徒信条10)

「十字架につけられ」(使徒信条10)

 キリスト教において「十字架」が特別な意味を持っていることは教会に来たことのない人でも知っておられることでしょう。キリストは十字架にかけられて死なれました。それはキリストが肉体的な苦痛や精神的な苦痛だけでなく、神の呪いを受けられたことを意味するのだと聖書は教えています。「呪い」とは神から捨てられることです。なぜキリストは捨てられたのでしょうか。それは下記の聖書箇所に書かれている通り、私たちを「律法の呪い」から贖い出すためであったというのです。

 「私は神から呪われたり、見捨てられたりするほど悪い人間ではない」と多くの人は思っていることでしょう。しかし、神の前において問題になるのは、人と比較して良いか悪いかということではありません。神がどのように見られるのかということです。すなわち問題は私たちの道徳的感覚ではなく神の律法なのです。神の正しさに基づいて裁かれるなら、いったい誰が「わたしには罪はない。呪いを受けるべき人間などではない」と主張することができるでしょう。

 しかし、正しい神の律法のもとにおいて裁かれるなら、本来呪われてしかるべき私たちに、福音の言葉はこう告げているのです。私たちが受けるべき呪いをキリストが代わって受け、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださったのだ、と。ですから、もはや神から捨てられることは決してないのです。私たちが正しい人間だからではなく、ただキリストのゆえに、どんなときにも「私は絶対に神から見捨てられてはいない」と信じてよいのです。     (清弘剛生)            

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。 ガラテヤ3:13

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