• 頌栄教会

「天に昇り」(使徒信条14)

「天に昇り」(使徒信条14)

 使徒信条はキリストの復活について語った後、「天に昇り」と続けます。

 「天」とはどこでしょう。古代オリエントの人々は、地面は平らであり、その上を大空が覆い、その上に巨大な海のようなものがあり、さらにその上に何層もの天があると考えていたようです。しかし、イスラエルの民にとって大事なことは、天が上にあるということではなく、天がこの見える世界を超越した見えざる世界であるということでした。ですから、使徒信条の「天に昇り」という言葉は、ただキリストが上に昇って行ったということではなく、この世界を越えた見えざる世界に移られたことを意味するのです。救いの御業を成し遂げられたキリストは、見えざる世界から私たちを支配してくださる御方となられたということです。

 いかなる時にも、いかなる所からも、天に昇られたキリストを仰ぎ望むことができるとは、なんと幸いなことでしょう。この世界は全く不確かな世界です。絶対に確かであると見えたものも次々と崩れていきます。この世界に命綱を結ぶことのできる確かな岩はありません。しかし、私たちは恐れる必要はないのです。私たちをしっかりとつかんでいてくださる方は、この世界を越えたところにおられるからです。キリストは天に昇られたのです。最初の殉教者ステファノが一心に見つめていたのは、この天におられるキリストでありました(使徒7:56)。そして、人々の憎悪も暴力も、このキリストの愛の支配から彼を引き離すことはできなかったのです。                    (清弘剛生)

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。ルカ24:50‐51

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「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので