「天地の造り主なる神を信ず」(使徒信条2)
聖書の第一声は「初めに、神は天地を創造された」(創世記1:1)です。私たちは漠然と神を信じているのではなく、使徒信条の表現によるならば「天地の造り主」である神を信じているのです。
神を「天地の造り主」として信じるということは、造り主と被造物を明確に区別することを意味します。造り主以外はすべて造られたもの、被造物であると認識することです。それは造られたものをいかなる意味においても神とはしないということです。天体も動物も、いななる力を持った人間であっても神に造られたものであるゆえに礼拝の対象とはしないし絶対的服従の対象ともしないということです。
また、神を「天地の造り主」として信じるということは、この世界が造り主のご意志のもとに存在していることを信じることでもあります。聖書の冒頭には、この世界が神の言葉によって六日間にわたって順次造られていくという物語が置かれています。その素朴な物語は、この世界が神のご意志のもとに存在し、神のご計画のもとに事が進められている世界であることを表現しているのです。
そして、神を「天地の造り主」として信じるということは、そのような神のご計画のもとに私たちもまた創造されたと信じることです。私たちは無意味な存在ではありません。私たちは目的をもって造られたのです。それはこの上なく喜ばしいことであるに違いありません。なぜなら私たちを造られた「天地の造り主」は、先週書きましたように、イエス・キリストの父なる神、「全能の父なる神」に他ならないからです。 (清弘剛生)
主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。 使徒言行録4:24
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