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  • 執筆者の写真頌栄教会

「キリストを証しする生活(2)」(信仰生活入門14)  

 「伝道」という言葉を聞くとしり込みしてしまう人が少なくありません。熱心に伝道している人を見て「とても私には真似できない」と思ってしまうのでしょう。しかし、考えてみてください。皆さんはどのように導かれたのでしょうか。私たちの多くは、必ずしも優れた人や伝道熱心な人によって導かれたわけではないでしょう。人と人との小さな出会いを通して神が働きかけ、導いてくださったのです。ならば何も大げさに考えずともできることはありそうです。キリストを信じる信仰について上手に説明することはできないかもしれませんが、キリスト者であること、教会に行っていることを隠さないことはできるでしょう。「あなたがたは世の光である」と主は言われました。「世の光になれ」と言われたのではありません。既に光とされているのです。信仰の光は与えられているのです。与えられている光を升の下に置くようなことさえしなければよいのです。

 キリスト者であることを公にすることを躊躇する理由に、「あなたはそれでもキリスト者か」と言われることへの恐れがあるかもしれません。しかしその時には、「今はこんな私でごめんなさい。このような私をもキリストは愛して赦して受け入れてくださいました。きっといつかキリストの似姿に変えてくださいます」と言って、キリストの恵みの大きさを指し示したらよいのです。往々にしてキリスト者は自意識過剰です。変に思われるのではないか。色眼鏡で見られるのではないか。――いいえ、ほとんどの人は何も思いやしません。まずキリスト者であることを公にすること。そこから伝道は始まります。    (清弘剛生)

また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 マタイ5:15

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「御心が行われますように」(主の祈り5)

「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので

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