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  • 執筆者の写真頌栄教会

「神に献げる生活(1)」(信仰生活入門21)

 初めて礼拝に出席した時、礼拝の最後に献金袋が回ってきたことに違和感を覚 えた――そんな言葉を聞いたことがあります。分からなくもありません。多くの 人は漠然と《カネは汚いもの》という意識を持っています。ですから聖なる礼拝 の中にお金の音が響くことは相応しくないと感じるのでしょう。しかし、聖書の 世界において《献げる》という行為は、もともと礼拝における不可欠な要素だっ たのです。例えば、旧約聖書の中に定められている、イスラエルの巡礼祭の規定 を見てもわかります。「男子はすべて、年に三度、...あなたの神、主の御前、主 の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはなら ない。あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい」 (申命記16:16-17)。  新約聖書においては、私たちが携えていくべき「献げ物」とは「自分の体」で あると教えられています。そして、「自分の体を献げる」ということは抽象的な ことではありません。私たちの体がかかわっている生活を具体的に神に献げてい くことを意味します。それが信仰生活なのです。それゆえに私たちは目に見える 形で私たち自身の生活に深く関わっている「金銭」をも献金として献げます。し かし、それはあくまでも「しるし」に過ぎません。献金を献げる時に、本当は自 分自身を献げているのだという意識をもって献げることが重要なのです。それこそが、私たちのなすべき礼拝だからです。(清弘剛生)


こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなががたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。ローマ12:1


祈りの課題

1. 礼拝堂に集まることのできないご高齢の方々、病気の方々のために。

2. 各地で拡大している豪雨の被害に苦しんでいる方々のために。

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