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  • 執筆者の写真頌栄教会

「神に献げる生活(3)」(信仰生活入門23)

更新日:2020年9月13日

 多くの時間を自分のために用いて、そして「時間が余ったら礼拝しましょう」 という姿勢で礼拝に臨んだとしたら、それは本当の意味で「礼拝」となり得るで しょうか。答えは明らかにノーでしょう。そのように時間についてならはっきり 分かることですが、同じことは献げものについて考える上でも重要です。  このシリーズの前回のコラムにおいて月定献金の意味について説明しました が、具体的にどのくらい献げたらよいのかと質問を受けることがあります。英語 では Tithe と表現されます。それは「十分の一」という意味です。日本でも「月 定献金」ではなくて「什一献金」と呼ぶ教会も少なくありません。確かに収入の 十分の一は旧約聖書に由来する基準です(レビ27:30,マラキ3:10など)。 しかし、そこで「税込みか、税抜きか」とか「主婦はどう計算するか」というよ うな議論が始まったり、さらには教会に定まった額を《納めている》という意識 が生じたりするならば、献身の「しるし」としての本来の意味を失ってしまうこ とになるでしょう。(Tithe がしばしば「十分の一税」と訳されるように!)いか なる額を献げるにせよ、大事なのはその精神です。「残りもの」や「余りもの」 を献げるようなことになっていないか――。それをこそ自らに問う必要があるの です。大切なことは、献げものを最初に取り分け、神様の御前において聖別し、 感謝と献身の思いをもって献げることです。それ以上でもそれ以下でもありませ ん。 (清弘剛生)


こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとし献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。ローマ12:1


祈りの課題

1.猛暑が続く中、病弱の方、ご高齢の方が守られるように。また、特に 礼拝に集まられる方々が健康を害されることのないように。

2. この国がまことの悔い改めへと導かれ、平和を造り出す国として世界 においてその役割を担っていくことができるように。

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