top of page
  • 執筆者の写真頌栄教会

「聖霊の働き」(9)

 聖霊は神の国における救いの完成を前もって味わわせてくれます。

 これまで8回にわたって「聖霊の働き」について書いてきました。聖霊のお働き、すなわち神の御業は現実に既に始まっています。そして、それは完成へと向かっているのです。神のなさることですから中途半端で終わるはずがありません。それゆえにまた、私たちに与えられ、私たちに内住される聖霊は、聖書において「初穂」(ローマ8:23)や「保証」(エフェソ1:14)という言葉をもって表現されているのです。

 「初穂(アパルケー)」というのは、最初に収穫された部分のことです。祭儀の場合、これが神に捧げられました。このように捧げられる初穂の後には刈り入れの全体が続きます。そのように「初穂」とは「先立って与えられる一部分」を意味するのです。つまり私たちには最終的に神による完全な救いが約束されているのですが、その救いの完成に先だって、既に私たちにはその一部分が与えられているのです。

 また、同じように聖霊について用いられている「保証(アラボーン)」という言葉は、いわば「手付金」を意味します。やがて全体を受けとることの保証として前もって受け取る一部分のことです。私たちは現在のこの現実の生活において、前もって神の国の救いの一部分を約束と共に受け取って味わうことが許されているのです。それがキリストによる罪の贖いにあずかり、聖霊の内住によって既に与えられる信仰生活なのです。              (清弘剛生)

この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。 エフェソ1:14

閲覧数:6回

最新記事

すべて表示

「御心が行われますように」(主の祈り5)

「御国が来ますように」という祈りに、この第三の祈りが続きます。これは第 二の祈りの内容的な展開であると考えられます。「御国が来ますように」と祈る ということは、天におけるように地の上にも神の御心が行われることを願い求め ることでもあるからです。 「地の上に御心が行われること」を求める祈りは、現実には地の上に御心が実 現していないという事実を示しています。実際私たちはそのような世界に生きて いるので

bottom of page